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館長挨拶
会長代理 佐伯幸生申すまでもなく、空手道は、日本古来の武道であります。試合における競技方法は、長い間、寸止め方式を採ってきました。 「寸止め」の空手は、優れた技を競い合っても、競技ルールに当てないという致命的な制約があり、観客側の立場でみると、勝負判定について心底から理解と納得ができないのが普通ではないでしょうか。 又、競技者にとっては、本当に「当てる」場合と「当てることを仮定する」場合の差に納得がいかなく、万一、ケガが発生した場合、遺恨が残らざるをえないのが偽らざる感情と思われます。
「からて」がスポーツ競技としての方向を目指すかぎり、止める空手から当てる空手に移行せざるをえません。それゆえ空手道も必然的に改革が必要となり、「硬式空手」が誕生しました。硬式空手の利点を申し述べますと、競技者の安全性に配慮し、頭部と胴に防具を付け、傷害を未然に防ぎ、また防具部分へ正確に当てることにより、勝負の判定を一層明確化させることを可能にしました。
一方、硬式空手界はオリンピックの正式参加を目指していますが、IOC(国際オリンピック委員会)も条件として、安全性と勝敗の明確さが最も重要であることを指摘しております。
安全防具を使用した強く正しく、極めて当てる=ハードコンタクト=寸当て方式は、今後の空手界の進路にとって非常に重要な意味を持っており、またその普及を大いに期待しています。
今後、さらに防具の改良を図り、安全面の完成度を高くし、合わせて審判規定を改正の上、審判の技術レベルを向上させ、選手、及び観客が共に勝負判定に納得、満足していただけることにより、広く「硬式空手」愛好者の参加を希望するものであります。あえて申すならば、私は寸当て方式(硬式空手)の道に、さらに前進していく所存であります。
佐伯派 剛柔流 宗家 全日本硬式空手道連盟 会長代理 佐伯幸生
館長 佐伯幸生 プロフィール
  • 昭和17年1月10日生誕
  • 少年期(10歳)より京都剛柔流同志会(現在 久家派剛柔流)に入門し、空手道を学ぶ。
  • 中学生の頃から柔道・合気道・古武道を習得し、23歳で愛知県名古屋市に
    個人道場(練心館)を開く。
  • 昭和42年11月10日、日本空手道同志会 久家陪劭総裁より師範を認可される。
  • 昭和44年4月1日、25歳で日本空手道同志会より六段の認可を受ける。
  • 昭和48年10月7日、剛柔流宗家 宮城先生の20年祭演武大会に京都同志会代表として
    参加。(於 沖縄 那覇市民会館大ホール)
  • 昭和52年8月1日、33歳で日本空手道 練輝会より七段の認可を受ける。
  • 昭和54年に発足した全日本硬式空手道連盟の誕生に尽くす。
    当時、渡辺勝(正気会)、藤谷昌利(明武会)、鈴木正文(日本正武館)、佐伯幸生
    (練心館)らの同志は、衆知を集めて硬式空手道の先駆者となり、新競技法の研究、普及に
    努めた。硬式空手道競技法が生まれた後、各地で大会が開催され、29年の歳月が経った
    現在、生存している者は、佐伯幸生だけである。
  • 昭和58年8月、南米ベネズエラで開催された第4回硬式空手道国際親善大会
    (江里口栄一団長)に、監督として参加。
  • 昭和59年9月3日、全日本硬式空手道連盟が発足し、初代専務理事に就任。
  • 昭和61年10月、硬式空手道オランダ国際大会に監督として選出され、参加。
  • 現在、拳暦55年となり、全日本硬式空手道連盟会長代理、東海硬式空手道連盟会長、
    愛知県硬式空手道連盟会長、佐伯派剛柔流 宗家 日本空手道練輝会会長の要職に就き、
    硬式空手道の普及に尽力中である。



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